日本のAIは、「判断の自動化」が得意
シンギュラリティ議論に代表される、AI脅威論も、今や、新型コロナ禍の波に押し流され、日本では、一時期のような議論も下火になりました。
これは、日本人が、よくよくAIを勉強して知ってみると、AIとは、案外、「人間の目から見ると、他愛もない作業しかできない」ということが、わかって来たことが原因の一つになっているのかもしれません。
囲碁や将棋など、AIがプロを打ち負かす結果を出したニュースが大々的に流され、多くの人が、「これは、人間の労働を、AIがすべてとってかわるのではないか」という恐怖感を抱き、その恐怖感が、ある種の都市伝説のように喧伝され、一時期、大きな話題を呼んだのだと思います。
日本企業が、現在、商品化しているAIは、「限定された領域における、判断の自動化」のためのものが、殆どです。
AIに、映画のターミネーターのシュワちゃんの姿を重ね合わせて想像をしてしまうと、その格差にがっかりしてしまうわけですね(笑)。そのようなSFじみたことを、AIに重ねることが、現時点の日本の技術水準では現実的ではないのでしょう。
日本のAI開発が、「限定された領域における、判断の自動化」の領域に絞られているのは、日本ではビックデーターが、情報セキュリティの制約から集められないという事情と関係があります。
例えば、フィンテック系の開発企業が、その開発力を駆使して、個人の与信を判断するAIを開発しようとしても、個人の与信に関わる情報は、個人情報の最たるものですから、その入手や利用には、日本では個人情報保護法上の制約が課せられます。そうなると、AIの深層学習のベースとなる与信に利用するビックデーターは、画期的な量や質を収集できません。そのため、結局は、人間が行うよりも判断のスピードだけはあがっても、判断の精度は、圧倒的に低くなり、参考情報を提供する程度の役割しか果たせなくなります。
これが、今の日本のAI開発の現状だといえるでしょう。とても、人間の判断なしに、AIだけで、汎用的な仕事を行わせるようなことには、到達できないレベルです。
世界の状況 中国が米国を追い抜きつつある実情
しかし、これが世界の規模になってくると、少々、話は違います。
AI研究では、米国と中国がその最先端を競い合っていますが、研究の質を示す論文の引用実績で、2020年、中国が米国を初めて逆転をしました。勿論、これに対する米国の危機感は相当なもので、米中のAI研究は、激烈な競争を呈しています。そして、これを欧州勢が追撃している状態です。
そのため、米中のレベルになると、日本の「限定された領域における、判断の自動化」のレベルでは、AI開発の現状はなくなっています。
中国の名門大学 清華大学に、2021年6月、AI女子大生が入学したと、中国新華社通信は報じています。
このAIについて、中国の報道にしては珍しく、ユーモアのある報道がなされました。
「生まれたときから、私は、文学と芸術に夢中なの。」
このように語るAIは、華 智氷 さん、と名付けられた、仮想女子大生。
今、この華 智氷さんのコメントは、微博(ウエボー。中国版ツイッター)から、世界に発信されています。清華大学によれば、「彼女」は、継続的な学習能力を備え、文書・画像・動画のデータの深層学習を続け、自律的に、成長する段階に至った、と言います。
汎用型AIが現れるのでしょうか?
新華社の報道によれば、2021年6月時点の、華 智氷さんの認知能力は人間の6歳児に相当すると言います。
そして、清華大学では、1年後の2022年の中旬には、12歳の認知能力まで達成させることを目標とするとしています。
詩作や、絵画などの芸術分野を、自律的に創造するレベルが、6歳児に相当するというのです。中国の最先端の研究は、現在のこのレベルから、人間のように多様な知的な作業を汎用的にこなすAIを目指しているのだと想像できます。
華 智氷という女性の名前をつけて、文学や芸術面に学習をさせているのは、中国が、米国や欧米から、軍事転用を疑われることを、出来る限り、遅らせることを意図していると判断できます。将来、華 智氷が、突如、シュワちゃんに化けることもありえますし、ビジネス現場で、人間にとってかわる効率性を追求するロホットに搭載されることも、充分、想像できます。
もちろん、現段階では、汎用型AIは、空想の産物にしか過ぎません。
しかし、共産党一党独裁のもと、個人情報を含む情報の収集を自由に国家が行うことができる中国においては、日本の現在のAIの領域である「限定された領域における、判断の自動化」を超えてくる可能性があるのではないでしょうか。
「AIなんて、おもちゃだよ。」と決めつけずに、その可能性を、世界に目を向けて、注目していくべきなのでしょうね。
以上、参考になれば、光栄です。
続く