今、薬が効かない耐性菌による危機が世界で進行しています
耐性菌AMR(antimicrobial resistance/薬剤耐性)という言葉は、多くの皆様にとって、まだあまり耳慣れないものかもしれません。
しかし、耐性菌による危機は、「次のパンデミック候補」ではなく、すでに進行している「サイレントパンデミック」です。コロナ禍が、あれほどまでに社会に大きな脅威をもたらしたのは、コロナウイルスが人類にとって未知のウイルスであり、その治療法や予防法が十分に確立されていなかったためです。
一方、AMRは、人類が持つ治療手段に対して、細菌やウイルスなどの病原体が耐性を持つことで、薬が「効かない」状態を引き起こします。これによるパンデミックが発生した場合、コロナ禍以上の脅威となる可能性があります。
WHOは、すでにAMRを世界の主要な公衆衛生上および開発上の脅威の一つと位置づけています。AMRは、細菌だけでなく、ウイルス・真菌・寄生虫にも起こり得ます。
現在、最も深刻な影響が定量化されているのは、細菌性の薬剤耐性です。WHOによると、2019年には細菌性AMRが直接の原因となった死亡が総計127万人、関連した死亡が総計495万人と推計されています。
さらに、2024年の The Lancet の系統分析では、2021年時点でもなお大きな負荷が続いており、対策が不十分な場合、2050年にはAMRを原因とする死亡が年間191万人規模に達する可能性があると予測されています。
その進行速度と影響の大きさは、決して看過できるものではありません。
何故、サイレントパンデミックと呼ばれているのか?
「サイレントパンデミック」と呼ばれる理由は、COVID-19のように短期間で一気に顕在化する危機ではなく、日常の診療、介護、手術、がん治療、集中治療、新生児医療の安全性を、静かに、しかし確実に損なっていくからです。
感染症そのものよりも、「効くはずの薬が効かない」ことによって、治療失敗、重症化、院内伝播、死亡、医療費の増大がじわじわと広がっていきます。
WHOは、AMRによって現代医療の多くの成果が危うくなると警告しています。
最近の世界的な動きとしては、2024年9月の国連AMRハイレベル会合で各国が政治宣言を採択し、2030年までに人の健康分野で使う抗菌薬の少なくとも70%をWHOの“Access”群(一般的な感染症に対して最も推奨される「第一選択または第二選択」の抗菌薬)にすることや、細菌性AMR関連死亡を2030年までに10%減らすことなどが打ち出されました。
これは、AMRが単なる医療現場の問題ではなく、国家安全保障、経済、食料、環境をまたぐ課題として扱われ始めていることを意味します。
さらに重要なのは、AMRは「病院の中だけ」の問題ではないということです。
WHO・UNEP・FAO・WOAHの四機関連携は、ヒト・動物・食品・環境をまたぐ One Health での対応を前提にしています。抗菌薬の不適切な使用、感染予防の不足、下水や排水管理の脆弱さ、家畜・食品分野での使用、国際移動などが複雑に絡み合い、耐性を拡げています。UNEPやWHOは、WASH(水・衛生・手指衛生)と排水管理がAMR対策の中核であると明言しています。
「日本は関係ない」では済まされない状態
では、水衛生や手指衛生、排水管理が比較的行き届いている日本において、これは「関係ない」問題と言えるでしょうか?
インバウンドによる訪日外国人旅行者が日本全国を移動し、外国人労働者も増えている中、耐性菌AMRが日本に持ち込まれるリスクは、すでに現実のものとなっています。
企業として、社員への啓発活動において特に重要なのは、まず、体調が悪い場合でも「抗菌薬で何とかする」という文化をつくらないことです。
例えば、厚生労働省は、AMRの大きな要因として抗微生物薬の不適正使用を挙げています。
つまり、風邪のような症状がある社員が「早く治したいから抗生物質をもらう」、海外出張時に安易に抗菌薬を購入する、余った薬を自己判断で使う、といった行動を放置すると、会社としてのAMRリスクを高めることになります。
実際、日本の2025年調査でも、抗菌薬に関する基本的な理解には誤解が多く、自己判断で再度服用した経験が約2割あると報告されています。
そのため、日本企業がまず取り組むべきなのは、社員教育です。
内容は難しいものである必要はありません。最低限、
「抗菌薬はウイルスには効かない」
「余った抗菌薬を使わない・渡さない」
「処方どおりに使う」
「感染したら無理に出勤しない」
という基本を徹底するだけでも、大きな意味があります。日本のAMRアクションプランでも、普及啓発・教育は最初の柱とされています。